気軽に日帰りバスツアーや、のんびり宿泊付きバスツアーで日本を満喫。桜や紅葉など季節ごとの楽しみや、フルーツ、カニなどの食べ放題のほか、温泉を巡るコースなど充実の内容です。 1926年4月 - 夜行バスが羽幌〜天塩間で乗合旅客運送事業開始。 1944年9月 - 戦時統合で道北乗合自動車(道北バスの前身)に統合される。 1952年6月 - 沿岸バス株式会社設立。道北乗合自動車より路線を譲受して開業。 1954年3月 - ハイヤー・タクシー事業を開始する。 1964年6月 - 北海道中央バスと相互乗り入れにより特急留萌札幌線(北海道中央バスは特急札留線)運行開始。 同時期にてんてつバスも国道275号経由の路線を併願したが、両社の反対により認可が下りなかった。 1975年9月 - 株式会社沿岸ハイヤーを設立。乗用部門を沿岸ハイヤーへ譲渡。 1975年9月 - 特急留萌札幌線廃止。 1984年12月28日 - 豊富営業所〜札幌東急ホテル間に都市間バス特急はぼろ号運行開始。 1987年3月31日 - 国鉄羽幌線廃止。留萌〜幌延間の代替輸送を開始する。 幌延駅に幌延出張所と幌延車庫、滞泊所を新設。 羽幌ターミナルを新設。自治体により天塩ターミナル、遠別ターミナル、初山別ターミナル、< 資産運用、上平ターミナルが相次いで設置される。 分割されていた留萌〜羽幌〜遠別〜天塩〜幌延〜豊富の路線を統合し、豊富留萌線とする。 快速幌延旭川線を新設。一部の系統は稚内駅前ターミナルまで直通運転。 1991年5月 - 国道231号大別苅トンネル開通に伴い、別苅雄冬線および特急はぼろ号増毛経由便を運行開始。 北海道中央バスの滝浜線、札浜線も雄冬乗り入れ。一部の便を接続。 2004年10月1日 - 遠別泉源線を廃止。廃止後は天塩町がみやび観光に委託。 2005年4月1日 - 遠別天塩線廃止。登別温泉送迎バス(わくわく号)運行終了。 2005年8月27日 - 外国為替ユーザーを対象とした2日間のバスツアーを実施。 2005年11月1日 - 西村博之監修のオリジナル「増毛(ましけ)」チョロQを発売。パッケージにアスキーアートが仕込まれて話題となる。 2006年4月1日 - 天塩更岸線を新設。 2006年5月1日 - 更岸遠別線を新設。学生対策便として運行。 2006年8月25日 - 2ちゃんねるユーザーを対象とした3日間のバスツアーを実施。名羽線に乗り入れて話題となる。 2006年10月1日 - 郊外線を中心にダイヤ改正。留萌別苅線の旧道経由と新道経由を統合する。 2006年12月1日 - 札幌地区の外国為替証拠金取引を縮小。観光貸切札幌営業部を札幌営業所に改組、乗合バスの営業所も併設する。 2007年4月10日 - 留萌市内線のダイヤ改正。萌高スクールを新設。 2007年6月28日 - 2ちゃんねるユーザーを対象とした4日間のバスツアーを実施。 2007年10月1日 - ダイヤ改正。羽幌留萌線、留萌小平線の経路変更。急行豊富温泉線を新設。 2007年10月6日 - 羽幌炭鉱や名羽線を巡るバスツアーを実施。 2008年2月22日 - 赤字路線バスで行く豊富温泉バスツアーを実施。 2008年5月24日 - 空知支庁管内の産業遺産を巡る「黒歴史と中空知産業遺産」バスツアーを実施。 2008年6月1日 - 留萌旭川線の運賃値上げを実施。 2008年7月20日 - 千葉県銚子市の銚子電気鉄道公認の東京発着バスツアーを実施。 2008年8月5日 - 特急はぼろ号の運賃値上げを実施。 2008年9月13日 - 2ちゃんねるユーザーを対象としたオロロンライン4日間のバスツアーを実施。 長野電鉄では1980年代から志賀高原・湯田中から東京への直通バスを観光シーズンに運行しており、定期化にあたってJRバス関東が参入したものである。 ほぼ同時期より、京王帝都電鉄(現:京王電鉄バスグループ)・川中島バスが新宿〜長野間に昼行高速バスを運行しているが、当時の昼行便の運賃が片道4500円だったのに対して、「ドリーム志賀号」では片道5400円となっており、二重運賃として話題になった。現在では同じ区間でも運賃が異なる路線は多くなっているが、当時は珍しい存在だったのである。 普段の乗車率はさほどでもなかったが、冬季はスキー客が増加するため続行便も多数設定されていた。しかし、長野新幹線が開業し、東京発長野行きの最終が22時発で設定されると、ドリーム志賀号が東京駅を発車する23時30分には既に長野駅に到着していたことから、乗客が激減した。このため、1998年度の運行をもって廃止となった。 2007年9月7日、JRバス関東のバスファン向けバスツアー「【リバイバル】国鉄バス 小諸・霧ヶ峰線&JRバス関東【小諸支店】 鉄道・バスファンSpecial8」にてリバイバル運行。参加者は長野までの往路、リバイバル運行された「ドリーム志賀号」に乗車した。区間は新宿駅新南口〜湯田中間であり、新宿駅の案内表示にも「【リバイバル】ドリーム志賀 長野・湯田中」と表示された。なお、実際に新宿を発車したのは日付が変わった9月8日0時30分頃であった。 東京駅八重洲南口〜新宿駅新南口〜(中央自動車道)〜(長野自動車道)〜長野駅前〜権堂〜須坂駅〜小布施〜信州中野駅〜湯田中駅 運行キロ程は332.6キロで、ドリームなごや号(355.9キロ)よりも短かったが、これは2005年12月22日にドリーム静岡・浜松号(253.6キロ)が運行開始するまで、歴代のドリーム号としては最短距離の路線でもあった。 V-2はメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で起工した。1924年12月27日にダグラス・E・ディスムスクス夫人によって命名、進水し、1925年9月26日に艦長G・A・ルード少佐の指揮下就役する。 V-2は第20潜水艦隊に配属され、大西洋岸およびカリブ海を1927年11月まで巡航、艦隊はカリフォルニア州サンディエゴへ向かい12月3日に到着した。V-2は1932年12月まで西海岸、ハワイ諸島、カリブ海で艦隊と共に作戦活動に従事した。 V-2は1931年3月9日にバスと改名され、第12潜水艦隊に配属される。1931年7月1日に艦籍番号が SF-5 から SS-164 に変更される。1933年1月2日にバスはサンディエゴの第15予備役潜水艦隊に配属される。1933年7月に再び艦隊に合流し西海岸、パナマ運河地帯、ハワイ諸島で1937年1月まで巡航する。その後西海岸を出航し、1937年2月18日にペンシルバニア州フィラデルフィアに到着、6月9日に予備役となる。 バスは1940年9月5日にニューハンプシャー州ポーツマスで再就役し、大西洋艦隊第9潜水艦隊に配属される。1941年2月から11月までバスはニューイングランド沿岸で作戦活動に従事し、バミューダ諸島のセント・ジョージ島を二度訪問した。11月24日にココ・ソロに到着し、日本軍による真珠湾攻撃時はココ・ソロに停泊中であった。 1942年、バスは太平洋艦隊第31潜水艦隊第3潜水戦隊に所属する。3月から8月までココ・ソロを母港として太平洋、バルボア沖で4度の哨戒を行う。1942年8月17日、海上で後部バッテリー室から火災を生じ、後部魚雷室及び右舷主電動機に引火、25名の下士官兵が窒息死した。翌日アンタイオス (USS Antaeus, AS-21) が到着し、コスタリカのダルシー湾へバスを護衛し、両艦はつづいてバルボアへ移動した。 バスは1942年10月までパナマ運河地帯に留まり、その後フィラデルフィアへ向かい10月19日に到着する。フィラデルフィア海軍工廠で修理の後コネチカット州ニューロンドンへ移動し、1943年12月にはブロックアイランド沖で秘密試験に従事する。1944年1月から3月までふたたびフィラデルフィア海軍工廠で修理を受け、同年の残りは大西洋艦隊第1潜水戦隊に配属、ニューロンドンを拠点としてロングアイランドからブロックアイランドの海域で作戦活動に従事する。バスはニューロンドン海軍潜水艦基地で1945年3月3日に退役し、1945年3月18日に標的艦として処分された。